小説『爆弾』をオーディブルで聞き終えました。
オイラ自身、社会のレールから脱線しまくっている人間なので、スズキタゴサクの主張にすこぶる共感できちゃったりします(汗)。
でも、自分の中にある、タゴサクに共鳴した「ドス黒い本音」や「破壊願望」を「あるもの」として認めつつも、それを実際の行動として表に出さない(蓋を閉めておく)選択をしている人が大半だとは思います。
でも、ちょっとした切っ掛けを与えれば、行動を起こすことの川を渡らせることは、割と容易なんぢゃね?と思ったりもします。
ハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」の中で、人間が全体主義(過激な思想)に熱狂する最大の土壌は「根源的な孤立」であると説きました。
社会的な繋がりを失った「孤立した人間」は、自分の存在理由を失うため、「圧倒的な論理の整合性」にすがりつきたくなる習性があると指摘しています。
現実がどれだけ複雑で理不尽でも、「すべては○○のせいだ」という一つの強固な論理を与えられると、孤独な人間は、割と簡単に、それに感化されてしまいます。
対策としては、安易な極論に心が惹かれそうになったら、目の前の「具体的な他者」との関係を重視するってことですかねぃ。
泥臭い営みです。
『爆弾』の中でも、そのような描写がされております。
例えば、どこかで戦争が起こった時に、その国に友人がいたら、「遠くの国の悲惨なニュース」も割と身近に感じられたりします。
まぁ、そゆ情動さえも、進化論的にプログラミングされたものなんだろうけど。
でも、そのことを理解した上で、敢えて、そのシステムを「方便」として主体的に選ぶと、まぁ、少しはラブ&ピースになるんぢゃね?と思ったりします。
本音を言うと、明日、世界が消えてなくなってしまってもいいと思っていたりもします――ぶち壊し!!。
でも、みんな(特に社会のレールから外れた人間)、割とそんなもんぢゃね?と思っていたりします。
違う?
それぢゃね!