失敗に不寛容だと,その不寛容さが自分にも跳ね返ってしまって,自分も生きにくくなるんぢゃね?と思ったりします。
これは,オイラの個人的な意見ですので,まったり聞き流してください。
YouTubeで,一部分だけを切り取った動画をUPして,大勢の人がその動画内容に対して批判していたりします。
確かに,その切り取られた一部分だけを見れば,批判できることはできるのです。
でも,もちっと想像力を働かせれば,そこに至る過程,状況など,考えられる要素はたくさんあると思うのです。
善悪とかって,そんなに単純なものではないと思うんですよねぃ。
というか,何かを判断すること自体が,すげぃ難しいことだと思うのです。
すげぃ厳密に言えば,判断するための要素って,切りがないほどたくさんありますし,カオス的に関連しあっています。
思考が深い人ほど,判断することに躊躇してしまうのではないか?と思ったりします。
判断の境界線って,すげぃグレーなのです。
逆に,何も考えないほうが,判断はすげぃ楽です。
日常生活を送るにおいて,あれこれ考えてしまうと,身動きできなくなってしまうので,致し方ない部分もあります。
何事もバランスだと思うのですが,YouTubeのコメント欄の批判の表現の仕方が,生理的に何だかなぁ…と思ったりします。
まぁ,見なきゃいいわけですし,気にしなければよいのだろうけれども…。
でも,そゆ安易に判断してしまうスタンスって,自分にも跳ね返ってしまう傾向にあるので,自分も生きにくくなるんぢゃね?と思うですよねぃ。
人は過ちも犯しますし,年を取り能力も衰えます。
自分が弱者になったとしても,生きやすい社会の方がいいんぢゃね?と思ったりします。
ジョン・ロールズが『正義論』の中で,無知のヴェールという例えをしています。
…って,長くなるから割愛。
リンクを張っておくので,興味のある方は参照してください。
それぢゃね!