先日,ゲスハに泊まってきました。
いつ泊まったのかは伏せておきます(汗)。
常連さんにもお声を掛けていただきましたし,スタッフの人もとても感じのよい方々でした。
よい経験をしますた。
以下,感じたことを書き連ねます。
まとまりのない文章になっています。
サーセン。
オイラはやぱり人と群れるタイプの人間ではないのだなぁ…と再認識いたしました(汗)。
もしスポーツをするのであれば,チームプレーが必要なものではなく,ソロでできるものを選びます。
(たぶん,スポーツをすることはないと思うけれどもwww。)
山登りをするのであれば,みんなで山に登るのではなく,きっとソロで登ります。
たぶん,オイラにとっては「自分のペース」というのが重要なのだと思います。
その分,変化のスピードはめっちゃ遅いかもしれません。
今の時代だと,すぐに淘汰されてしまうことでしょう。
話は変わりますが,人と関わることが好きな人って,いろんなことに興味のある人だと思うんですよね。
いろんなことに興味がないと,会話の糸口がないですもんね。
オイラの場合,この世界に関心がなかったりします(待て)。
いろんな話を聞いても,結構「割りとどうでもいい」と思ってしまいます(サーセン)。
もし,明日世界が滅んでしまっても,構わないとすら思っていたりします。
この世界を憎んでいるとか,そゆことを思っているわけではないです(面白くないことは多いですけどねw)。
「いつ死んでもいいくらい精一杯生きているから」という,そゆポジティブな考えを持っているからでもないです。
単純に,オイラはこの世界に根っこを生やしていないからです。
近年,オイラはデラシネ(根無し草)感を強く感じています。
仏教的には,「執着がなくていいんぢゃね?」みたいに肯定的に捉えることができるかもしれません。
でも,一般的には「この人,頭おかしいんぢゃね?」みたいな感じですよね。
「明日世界が滅んでしまっても,別に構わない」なんて素で言われたら,ギョッとしてしまいますよねwww。
ちなみに,オイラは誤解されることが多いです。
オイラの意図していることがうまく伝わらないからだと思います。
長い時間をかけて話し合うこととかないですもんね。
どんなに長い時間をかけて会話をしても,人と人は理解し合えないとオイラは思っています。
逆説的に,人と人は理解し合えないと思っているほうが,理解できているんぢゃね?なんて思ったりします。
言葉には一義的な意味があるのではなく,様々なグラデーションがあり……と,この話は長くなってしまいそうなので,やめておきます。
次は何をしませうかね…。
それぢゃね!