某ブログ記事に面白いコメントが付いていたので,備忘録として書き留めておく。
読みやすくするために,改行しました。
なぜ物で部屋を埋めようとするのか?
それはだね、人は自分の心が空っぽであるということに耐えられないからだよ。
心象風景というものがあるね?
ということは、その逆もまた然りだ。
つまり、目に映る景色が心に逆流してくるのさ。
空っぽの部屋にいると、自分の心まで空っぽになったように感じてしまう。
そのとき人はどうするのか?
そう、この逆流の原理を利用して、心を満たそうと目論むのだよ。
むろん、無意識のうちにだがね。
しかしだね、この原理は幻想でしかない。
物の多寡と心の満足とはそもそも無関係だ。
そうだね?
この事実に人はある時ふと思い至るのさ。
そして悟るというわけだ。
目に映る物すべてが本質的には自分とはまったく無関係だということを。
そうなってはじめて、人は自分の心の空虚さに向き合うようになるというわけさ。
ああ、僕はこんなにも空っぽだったのか、とね。
この体験は恐怖でもあり、同時に安堵でもある。
なぜかって?
自分を虚飾で彩る必要はもうないと知るからだよ。
そして喜びでもある。大いなる解放だからね。
記号という憑き物が落ちるというのは、つまりはこのことなのだよ。
どうだい?
仕組みが解ってしまえば簡単だろう?
だから言っているではないか。
この世には、不思議なことなど何もないのだよ。
――物を持たない京極堂
出典:
第4回出張ミニマリスト1日目【過去最大級の強敵編!!】 | 物を持たないミニマリストのコメント欄
自分が自分である,ただそれだけで自分は特別なのだろうけれども,それと同時に,自分の特別さの根拠はそれだけなのかもしれない。
ちょっとメタ視点で考えてみると,自分って案外,空っぽなのかもしれない。
自分を特別視するのを控えたら,すこし生きるのが楽になるかもしれない。
ただ,それは,今まで築き上げてきた(と思い込んでいた?)自分を一度破壊,殺すことになるので,「恐怖」でもある。
(精神的な)自死の先に,生まれ変わりがある。