快楽というものは、肉体の快楽であり感覚の快楽である。飲食の快楽であり、音楽・香水・性欲の快楽である。その住むところは娼家、料亭、公衆浴場、競技場、劇場、サウナである。その悪徳は高慢、傲慢、横柄、恫喝、有頂天、等々である。が、快楽の何よりの特徴は、欲望が満たされると同時にその快は終るということだ。だからあらゆる快楽に恵まれながら、いつも不幸な者もいる。快楽を求める者はつねに欲求不満の中にいる。
これに反し、善き行為、正しい行為、自然に従った行為、すなわち徳は、それ自身の中に喜びがあるから欲求不満にならない。徳がもたらす善はそれ自身が価値だからだ。それが幸福ということである。だから幸福な人は、自分の境遇がどんなものであってもそれを楽しみ、満足している。(p198)
『ローマの哲人 セネカの言葉』