正しい行為の報酬は、それを行ったということの中にある。
「手紙」81-19
人に認められようがためとか、何らかのためにするのは本当の正しい行為ではない。
それを行ったよろこびの中にすでに全き報酬のあるのが、正しい行為だというのだ。
モンテーニュは「エセー」の中でこの言葉を引いて(第二巻第十六章)、
「奉仕の果実は奉仕そのものである」
という句と並べている。
他人のために役立つことをした人は、自分自身のために役立つことをしたのです。
「手紙」81-19
(p148-149)
『ローマの哲人 セネカの言葉』
奉仕をしろなんてことは言わない。
あれこれ理由をつけて行動しろ,とも言わない。
ただ,その行為自体が目的である行為をしたほうが,楽しいだろうし,長続きもすると思う。