もし患者に、自分の人生の意味は何なのだ、と聞かれたら何と答えるべきだろうか。医者が一般的な言葉でこれに答えられるとは思えない。人生の意味は人によってさまざまであり、時々刻々変化するものだからだ。大切なのは一般的な人生の意味ではなく、いま現在のその人にとっての人生の意味なのだ。
人生において遭遇するそれぞれの状況は、人に与えられた試練であり、解決すべき問題を提起しているのだ。そう考えると、人生の意味は何かという問いかけは、じつは逆なのではないだろうか。結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、自分自身がそれを問われているのだということに気がつくべきだ。つまり一人ひとりが、人生からその意味を問われているのであり、自分自身の人生のすべてを引き受ける、つまり責任ある生き方をすることによってのみ、それに答えることができるのだ。
『死ぬ瞬間:死とその過程について』
(エリザベス・キューブラー・ロス,中央公論新社,2001)
人生の意味など問うべきではなく、自分自身がそれを問われているのだ。
人はよく「なぜなんだ? どうしてなんだ?」と人生の意味を問う。でも,その問い答えることができるのは,他の誰でもなく自分自身です。
なので,他人に問うたところで,答えは返ってこない。他人には答えようがない。
人に問いたい気持ちもわからなくもないですが――参考程度にはなるかもしれません?――,答えるのは自分自身です。
自分自身に対して問われているのです。
んだから,むやみやたらに,他人に人生の意味を問うのをやめるといいんぢゃないのかなぁ?
人生の意味を問われても,「知らねぇ~YO!」としか答えようがない。
納得できる答えを自分で考えて,自分で見つけだすしかないんぢゃね?
参考には全くならないだろうけれども,参考までに(?)現在における暫定的なオイラの生きる意味を言いますと,「生きる意味なんてないんぢゃね?」です。
現在における暫定的な…と断っているのは,変わる可能性が十二分にあるからです。不変の人間なんていませんから。
更に付け加えると,人それぞれが好きなように決めればいいんぢゃね?
hideも「ROCKET DIVE」の中でこう歌っていたよ。
何にもないって事
そりゃあ なんでもアリって事
君の行きたい場所へ何処でも行ける
君の生きたい(逝きたい)場所へ行けばいいんだよ!