はやく真人間になりたいよぅ(仮)

ゆるミニマリストの元ヒキニートが真人間になるためのブログ@oekakids

他人の生き方なんて,どうでもいいのだ。

掃除から1年後、吉祥寺井の頭公園前の店で佐々木さんと飲んでいたときのこと。「最近、映画を観なくなった」という点で盛り上がった。以前は二人とも大の映画好きで、時間があれば映画ばかり観ていた。それが、なぜか二人とも観る時間が減っていた。

 

どうしてだろうかと議論していたが、「他人の生き方を観るよりも、自分の人生を生きる」と思っているからではないかという結論になった。

 

モノを捨て、何ものでもない自分に気づき、同時に他人も何ものでもないと気づく。つまり、両者はイコールだ。うらやむことは、何もない。(p108-109)

 

『最小限主義。:「大きい」から「小さい」へ モノを捨て、はじまる"ミニマリズム"の暮らし』

(沼畑直樹,ベストセラーズ,2015)

 

オイラもアニメや映画を観る時間がかなり減りました。

 

映画なんて,一時期一日に3本とか観ていたのに,今では本当に観なくなってしまった。

 

アニメは辛うじて,一期につき1~2本ほど観ている。でも,アニメすらも,もっと観なくなってしまうかもしれない。

 

何故だろうと,オイラも考えたことがある。

 

端的に言ってしまえば,アニメや映画を観ても,あまり面白いと感じなくなってしまったから。娯楽としてのコスパが非常に悪くなってしまったのだ――えらく時間を消費するのに,感動できない。

 

なんで面白いと感じなくなってしまったのか?

 

■視点が視聴者側から製作者側にシフトした。

■作り物っぽさに白けてしまう。

■ストーリーのテンプレ・ストック増えた。

 

もっとザックリ言ってしまえば,リアリティが感じられないから。

 

しかし,ドキュメンタリー映画とか,リアリティのある映画もある。

 

なので,リアリティってのは関係ないかもしれない。

 

単純に興味がないだけかもしれない。

 

池畑さんが言っていた「他人の人生」ってものに繋がるかもしれない?

 

オイラの人生には関係ないというか…,割りとどうでもいいというか…。

 

良く言えば,自分の評価軸がシッカリしていると言える。悪く言えば,行き過ぎた文化(価値)相対主義者。

 

でも,そんなレッテル張りなんかも,どうでもいい。

 

いろんなことが,どうでもいいのだ。

 

支離滅裂な文章ですいません。

 

思いつくまま書いて,投稿しちゃってます(汗)。

もしかしたら,ちょっとお疲れモードなのかもしれない。