果報は寝て待て
【読み】
かほうはねてまて
【意味】
果報は寝て待てとは、運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いということ。
【注釈】
(1)「果報」とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。
転じて、運に恵まれて幸福なことをいう。
(2)「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということ。
(※番号はオイラが振りました。)
オイラが注目したいのは,【注釈】の部分です。
順番に見ていきたいと思います。
(1)「果報」とは、仏語で前世での行いの結果として現世で受ける報いのこと。
「果報」とは,前世での行いの結果として現世で受ける報いのことです。
もともと,「幸せなこと」という意味はないみたいです。
そこで、詳しい人に訊いてみました。果報ももともとは仏教用語で、「『果』は良い結果のことで、『報』は悪い結果のこと」なんだそうです。
つまり「果報」は幸運のことだけではなくて、「良い結果、悪い結果」の両方を指す言葉なんですね。
2. ことわざにも色々あるけれど、「果報は寝て待て」って都合良すぎない?:谷誠之の 「カラスは白いかもしれない」:オルタナティブ・ブログ
「果報は練って待て」が「果報は寝て待て」と伝わった説があります。
(2)「寝て待て」といっても、怠けていれば良いという意ではなく、人事を尽くした後は気長に良い知らせを待つしかないということ。
この(2)の意味を踏まえるのであれば,「果報は練って待て」と表現したほうがいいような気がします。
人事を尽くすこともなく,練ることもなく,ただ単に寝て待っていれば,棚ぼた的に幸運が舞い込む…みたいな使い方をする人がいます。
また,成功者が成功の理由を聞かれると,「たまたま運がよかっただけ」と表現することがあります。
確かに運の要素もあると思います。
でも,成功している人は,それなりに人事を尽くしているんですよね。
某ブログにこんなコメントがついていました。
コメント:
「果報は寝て待て」と誤解されているくらいです。
「果報は練って待て」が元々の語句だそうです。
ただ、血反吐を吐いて血のションベン流して頑張る才能ある人はいくらでもいて、何が勝者と敗者を分けるのか?と考えた場合、勝者が考えつくのは、「運」しかないらしいんですよ。
で、一流のスポーツ選手でもゲンを担ぐようになる。
コメント:
才能のある人同士の熾烈な頂上決戦は運が左右する要素が多くなると思います
実際、プロとしてコメントを求められる人はそんな熾烈な競争の中でのコメントですよね
私のような素人さんは運が左右する要素はまだ少なくよく言えば、まだ伸びしろがあるんです
深いコメントです。
こゆのを知っていると,安易に「果報は寝て待て」なんて言えなくなっちゃいますwww。
多くの人は,物事の表面だけを見て判断しています。
だから,あんなに好き勝手言えるのだろうけれども…。
色んなことを知れば知るほど,断定的に言葉を発することができなくなると思います。
言葉を発している時点で,たくさんのことを切り捨てているのだと思います。
そのことに無自覚な人が多いような気がします。
さて,寝るかなwww(待て!)。
それぢゃね!