他人基準で生きるな,自分基準で生きろ!とよく聞きます。
ミニマリスト界隈でもよく聞きます。
かく言うオイラも,このブログで何回か言っているような気がします。
他人基準を内面化して,自分基準になっている場合もあるし,よくよく考えるとその判断って難しい気がします。
ということで,今回は他人基準と自分基準の判別方法をご紹介。
簡易な判別方法です。
なので,必ずしも正しくはないです。
あくまでも一つの基準として考えていただければ,と思います。
- 思考形態が「○○したい」→自分基準
- 思考形態が「○○しなければならない」「○○すべきだ」→他人基準
シンプル!!
死ぬ間際の後悔の大小は,どれだけ自分基準で生きることができたかで決まると思います。
オイラは何をしたいんだろ。
おんにゃの子とイチャイチャしたい(待て)。
追記1:
自分の自我があると多くの人が思っているかもだけれども,そゆものはなくて,自我というものは関係性の結び目である…なんて仏教的なことを思ったりします。
なので,自分が死んでいなくなったとしても,関係性の結び目が変わるだけで,自分というものがなくなるわけでもなく,というか自分というものは元々ないわけで,別に死ぬこと自体は割りとどうでもいいと思っていたりします。
そのように考えると,人は死なないのかもしれません。
ただ,オイラは死に至る過程で伴う苦痛は,めちゃくちゃ怖いです。
苦しまずに死にたいです。
追記2:
クリスマスの予定なしです。
今年もクリボッチですwww。
お茶してもいいぜ!って人や,Skype等でお話してもいいぜ!って人がいましたらヨロシクですwww。
それぢゃね!