高齢者を「老害」といって批判しているのをよく見かける。
いや,まぁ,ケースによっては批判したい気持ちになるのも理解できるのだけれども,「年を取ること」を否定的に捉えてしまうと,それはやがて呪いとなって自分に返ってきてしまうと思うのです。
高齢者を「老害」と批判している人ほど,いざ自分が高齢者の立場になったとき,自尊心がボロボロになってしまうのではないでしょうか?
自尊心を保ち,精神のバランスを取るために偏屈になってしまい,自分自身が「老害」なんて言われてしまうかもしれません。
年を取らない人間はいません。
どんな人間も老いていきますから。
若い時分は「得る」ことばかりだったと思いますが,年を取っていくと「失う」ことばかりです。
なので,「年を取ること」を否定的に捉えてしまうのも理解できます。
そう考えてしまうのはなぜなのか?
なんつーか,根源に「合理」だとか「損得」という考え方があるからなのかなぁ・・・なんて思ったりします。
「合理」だとか「損得」で考えるから,しんどくなるのだと思います。
自分が強者の立場であり続けることができるのであれば,しんどさはある程度緩和されるかもしれませんが,基本的に強者の立場であり続けることはできません。
現代人は「合理」だとか「損得」に縛られているので,その考え方から脱するのは容易なことではないと思います。
オイラにも無理かもしれません。
「合理」「損得」という考え方から,ちょっと距離を置くことができるかもしれない…,そんなキーワードを何個か提示しておくことに留めておきます。
「楽」「縁」「好き」
(ちなみに,今のオイラにはこの3つのキーワード,すべてが欠けていますwww。)
それぢゃね!