自然は残酷なわけではなく、単に容赦なく無関心なだけだ。
これは人間にとって最も学びにくい教えである。
わたしたちは、物事が良くも悪くもなく、残酷でも親切でもなく、ただ無感覚なだけ――すべての苦しみに無関心で、目的は何もない――ということを認められないのだ。
―― リチャード・ド-キンス
ドーキンスは「自然」という言葉を使っているが,オイラはこれを「神」という言葉に置き換えても同じだと思う。
一人ひとりに対して,無関心でただただ超然として,そこに存在(?)しているのが「神」だと思うのです。
これは,オイラの「神」のイメージなので,そう思わない人がいても構いません。