いかに多くの物が余計な物であるかに気づくのは、それらがなくなりだした時です。
そのとき我々は、それが必要だからではなくて、それを持っていたがために使っていたにすぎないことを知る。
我々はなんと多くの物を、他人がそれをやっているという理由でやり、また他人がそれを所有しているという理由で所持していることか!
我々の不幸の最大の原因は、我々が他人の真似をして生き、理性によって身を処さないで、世間の慣習に従ってしているところにあります。
やっているのが少数の人間であるうちは真似しようと思わなかったことを、大勢の人間がやり始めるやいなや、すぐに自分もやりだす。
まるで頻繁に行われればそれだけ、それがいいものになるかのように。
そしてそれが一般的になるにつれ、正しさが占めていた場所に過ちが取って代るのです。
「手紙」123-6
(p176)
『ローマの哲人 セネカの言葉』