誰もがこの瞬間、この「いま」を生き、それを積み重ねていくことでしか人生は続いていかないからです。
誰もみな、生きてきた過程で、自分がたまたま選択した瞬間の積み重ねの結果がいまの人生。
もしも、いまの自分に満足がいかず、自分の人生が後悔に満ちているとしても、あるいは、いまの境遇が悲惨であり、不運であり、恵まれていないと嘆いているにしても、瞬間瞬間で選択してきたことが、その「いま」の自分を生み出したのです。もし瞬間瞬間で違う選択をしていれば、間違いなく、まったく別の人生があったでしょう。
自分が人生の主体であるとわかれば、いまここにある自分は、ほかの誰のせいでもない。自分の選択がもたらしたものです。
さらにいえば、いまの境遇に絶望しているからといって、未来が絶望だとは限りません。
次の瞬間瞬間に違う「いま」を選び取ることで、自分の人生を変えていくことができるということではないでしょうか。(p101)
Q11 榎木さんの健康法を教えてください。
A11 規則正しい生活をしないことです。
とくに、食についての「一日3食をきちんと食べましょう」という紋切型のいい方には、昔から賛同できませんでした。腹がへっていなくとも、時間が来たら食 べる"パブロフのイヌ"状態をなんの疑問もなく受け入れているいまの社会こそおかしくないかと、常々感じてきたのです。
腹がへったら食べるのは自然ですが、時間が来たから食べるというのは,かえって不健康なのではないでしょうか。
人の生理と体調は、日々刻々変っていきます。だからこそ、規則正しく食べることは、私にとって非常に不健康なことと感じられます。
大切なのは,自分の体にいまの状態をきいてみることです。このとき、とくに注意すべきことは、食欲という欲に、本当に自分が負けていないかどうかの確認作業ではないでしょうか。欲に負けてしまっていれば、結果として、肥満や病気を招くことになります。
いまの自分の体は、現世で生きていく間の借り物だと私は考えています。その借り物の体をいたわるべきでしょう。
とはいえ、「食べたいものをがまんするのも、けっこうなストレスではないか」という反論もあるかもしれません。
確かにそのとおりです。自分を大事にすることと、欲に目がくらんでしまうことの間で、私たちはいつも揺れています。みな、聖人ではないのですから、そんなにスッパリと欲を捨てられません。
とすれば、そうやって迷い、揺れ動くこと自体を楽しむほかない。そう覚悟を決めればよいのではないでしょうか。(p114-115)
『30日間、食べることやめてみました : 「不食」という名の旅』
(榎木孝明,マキノ出版,2015)
面白かったです。
一部オカルト的な部分は除くとして,基本的にオイラが思ったり,感じていたことと同じでした。
なので,自分の思考・思想等を再確認したって感じです。
「食」って結構なリソースを使いますよね。
食材を購入する時間,購入する費用,料理を作る時間,食べる時間,片付ける時間,消化する時間,排出する時間などなど。
なので,「食」を断捨離できると,結構なリソースの確保になると思います。
なので,忙しいって人にとっては,「不食」は有用かもしれないです。
でも,暇な人が「不食」に手を出すと,さらに暇になってしまうと思います。
ちょっと話は逸れますが,『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎,朝日出版社,2011)で,「なぜに人は間食をしてしまうのか? それは暇だからだ。」みたいなことを読んだ気がします。
確かにそのとおりで,オイラも暇で何もすることがないと,暇を埋めるために,何かを食べてしまうという傾向があったように思います。
なので,間食したくない人は,忙しくするといいかもしれません。
忙しいストレスでドカ食いしてしまうって場合もあるかもしれないですけど。
ま,自分の体とよく対話をしてうまくバランスを取ってくださいな(一気に投げやり)。