はやく真人間になりたいよぅ(仮)

ゆるミニマリストの元ヒキニートが真人間になるためのブログ@oekakids

「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。

そして、それにしてもわたしは彼がここでも、人の生き方の極致を、一日一日を人生の最後の日と思って生きること、としているのに注目せずにいられない。

これは、前にも言ったが、人の生きるところは「今ココニ」しかないということだ。

「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。

そこには過去もなく未来もない。

「今ココニ」が絶対的現在であって、そのまま永遠につながっているのだ。

セネカがこのことを何度も、いろんなところで言っているのを見れば、これは運命や徳や死についての思索とともに、セネカの中心にあった問題であったことがわかる。

(中略)

セネカが白髪や皺が長くよく生きたしるしではないというように、道元も、

 

  いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。

  「正法眼蔵」行持上

 

と言っているのだ。(p47-48)

 

『ローマの哲人 セネカの言葉』

中野孝次岩波書店,2003)