そして、それにしてもわたしは彼がここでも、人の生き方の極致を、一日一日を人生の最後の日と思って生きること、としているのに注目せずにいられない。
これは、前にも言ったが、人の生きるところは「今ココニ」しかないということだ。
「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。
そこには過去もなく未来もない。
「今ココニ」が絶対的現在であって、そのまま永遠につながっているのだ。
セネカがこのことを何度も、いろんなところで言っているのを見れば、これは運命や徳や死についての思索とともに、セネカの中心にあった問題であったことがわかる。
(中略)
セネカが白髪や皺が長くよく生きたしるしではないというように、道元も、
いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。
「正法眼蔵」行持上
と言っているのだ。(p47-48)
『ローマの哲人 セネカの言葉』