金言・箴言
「多くの者にとって、富を得たことは苦悩の終りではなくて、その変形だった」というこのエピクロスの言葉に僕は驚きません。 過ちは事物の中にでなく、僕らの心にあるからです。 「手紙」17-11 ルキリウスが相変わらず「十分な財産を持ったら哲学に専念しよ…
そして僕は叫ぶ、 「大衆の気に入るものを避けよ、 偶然のもたらしたものを避けよ。 思いがけぬ幸運に遇ったら不信と不安を抱け」と。(p91) 『ローマの哲人 セネカの言葉』 (中野孝次,岩波書店,2003)
野獣は危険が迫るのを見れば逃げだす。 危険が去ればもう何の心配もしない。 人間だけが未来のことや過去のことを思って、我と我が身を苦しめるのです。 人間の利点であるものの多くが、逆に害をなすのです。 「手紙」5-9 (p86) 『ローマの哲人 セネカの言…
エピクロスの、 「楽しき貧しさは、美(うるわ)しき哉」 を引いて、それをセネカが自分の言葉に変えたのだが、二人の名人の合奏を聴く思いがする。 貧乏が楽しいものになったら、それはむろんもう貧乏ではない。 所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、…
さて、それでどういうことになりますか? 自分に残された僅かなものに満足している人を、僕は貧しい人とは思わぬのです。 「手紙」1-5 (中略) インターネットだのテレビだの電話だのケータイだの、ありとあらゆる文明の機器によって途方もない量の情報に日…
結局のところ、彼ら(多忙の人)がいかに僅かしか生きないかを、君は知りたいのですか? ならば、見たまえ、彼らがみなどんなに長く生きたいと願っていることか。 よぼよぼの老人が、誓いを立ててほんの少しの歳月のおまけを得させてくれと神に乞う。 自分た…
わたしにとっては一人が大衆であり、大衆とは一人である。 ――デモクリトス わたしには少数者で十分だ。一人で十分だ。誰もいなくても十分だ。 ――無名氏 わたしはこれを多数者のために書くのではない、一人のために書くのだ。 なぜなら我々二人は、一人がもう…
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 [訳] 河を見ていると、水は流れ流れて絶え間ないが、それはむろん同じ水で…
そして、それにしてもわたしは彼がここでも、人の生き方の極致を、一日一日を人生の最後の日と思って生きること、としているのに注目せずにいられない。 これは、前にも言ったが、人の生きるところは「今ココニ」しかないということだ。 「今ココニ」を全力…
「そんなことが起ろうとは、わたしはぜんぜん思っていませんでした」とあなたは言うのですか。 起りうるとあなたが知っていること、多くの人に起ったのをあなたが見ていることが、自分にだけは起らないとでも思っていらしたのですか? 芝居の台詞ですが、こ…
人は、そもそも運命がいついかなる時に襲いかかってきて自分に与えるかもしれぬ禍に対し、つねに心がまえをしているべきであって、決して自分だけは運命の打撃を免れているなどと思うべきではない。 病気、財産喪失、失業、追放、そしてむろん死――それらの運…
何よりもまず――この点でストア派はみな意見が一致しています――わたしは自然に従う。自然から外れず、その法則と模範によって人生を導くのが、知恵だからです。したがって幸福な人生とは、自分自身の本性と合致した生のことですが、そういう生は、まず心が健…
自分を肯定できるということが、幸福には欠かせない条件なのだ。自分を受け入れ(人はそれぞれ違う能力や肉体や容貌や精神を与えられて生まれてくるが)、自分の醜さや、短い足や、病弱なからだや、そういうものすべてを受け入れ、認め、肯定し、愛するに至…
快楽というものは、肉体の快楽であり感覚の快楽である。飲食の快楽であり、音楽・香水・性欲の快楽である。その住むところは娼家、料亭、公衆浴場、競技場、劇場、サウナである。その悪徳は高慢、傲慢、横柄、恫喝、有頂天、等々である。が、快楽の何よりの…
どうして人はそういう心の落着きへ達せられず、落ち着いた心を維持できないのか? それにはいろいろな心の弱さ、性格の弱点、様々な欠点があるけれども、それらは結局のところ自分自身と一つになれぬこと、自分を信じきれぬこと、自分への不満が原因なのだ。…
わたしが、この「心の落着きについて」というエッセイで一番力づけられたのは、セネカがここでは何度も、人が安らかで落ち着いた心を持つに一番必要なものとして、自分自身に対する信頼を持つようになれ、自分自身を楽しめるようになれ、とそれを何よりも強…
自分の生涯にしたいことが数あろうと、その中の何を自分は一番したいかよくよく考えて、何が第一か決まったらそれに専念せよ、 他のことすべてが破れてもかまわずその一事にうちこめ、さもないと何一つ実現できないぞ。セネカの言うのもそのことだ。 同じ忠…
求むることの最も少ない者が、困窮することの最も少ない者だ、 足るを知る者は、望むものをすべて得る(p242) 『ローマの哲人 セネカの言葉』 (中野孝次,岩波書店,2003)
人間が複数集まるとささいなことでもついつい「自分の方が正しい」という精神的なパワーゲームになりがちです。 日々の生活において自分の正しさを相手に認めさせることが目的ではなく、ここちよく過ごせることが大事。 引用先URL: 尊敬するシンプルびとの…
生活のレベルが少し下がっても、 心の豊かさがもう一段だけ向上すれば 失うものは何もない。 余分な富を持つと、 余分な物しか購入しない。 魂が必要としているものを購入するのに、 金銭などは必要ないのである。 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
何かをしなければいけない、 何もしていない人間は無価値だとされている世の中で、 最大の反逆は「何もしないこと」だと思っている。 世間的に良しとされていることは何もしない状態で、静寂の領域を保ち、 同時に限定的な境界線を超えて膨れ上がりながら、 …
他人の目線や他人の人生を気にしている時、多分、そのひとは止まっている。 周囲の人間のチューニングを狂わせる、不協和音を発している。 自分に集中している人間は、自分以外の他人の生き方をああだこうだとは言わない。 自分を正しいとも思わない代わりに…
自分の幸せを必死にアピールしている人間は、 その態度を通じて、自分は幸せではないことを証明している。 正義とか、自由とか、幸福とか、生きる意味とか、自分の意見の正当性を主張し始めた瞬間から、その人自身は「そこ」から遠く離れていく。多分、真の…