何かを残して死にたい。
多くの人がそう思っているような気がします。
自分の存在が忘れ去られてしまうのが怖いのかもしれません。
でも,オイラは逆に何も残さずに死んでいきたいと思っています。
オイラのことなんて,キレイさっぱり忘れてもらってかまわないです。
オイラの父は,デジカメで写真を大量に撮り溜めているのだけれども,あれ,どうするんだろ?
たま~に見返すことはあるみたいなのだけれども,基本的には撮りっぱなし。
何かの瞬間を記憶(記録)に留めておきたいのだろうか?
年をとるとそうなってしまうものなのだろうか?
親の死後,処分するのが面倒臭い…とか思ってしまうオイラは薄情者でしょうか?
写真ってホント,処分しにくいです。
断捨離を決行していたとき,オイラは自分の卒業アルバムも捨ててしまいました。
単純に捨てるのでなく,ビリビリに破いてゴミ袋にぶっこみましたwww。
自分の写真でさえ,結構な意思力がいりましたYO。
今ならば,自炊してから捨てても良かったかなぁ…と思ったりもするのだけれども,別に後悔はしていないです。
しみじみと過去を振り返っている自分が何だか嫌でしたし,いや,そもそも学生自体は暗黒時代なので,振り返りたくもないですwww。
100年後ですら,自分のことを覚えている人なんてほとんどいないと思います。
そゆものなので,何かを残そうと思えば思うほど切なくなると思います。
それでも,やっぱり何かを残したいと思う人は,与えまくるといいと思います。
一生を終えてのちに残るものは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。―― ジェラール・シャンドリ
でもさ,何かを残したいと思っていても,何も残したくないと思っていても,何かしらの形で「何か」は残っていくものだと思います。
時間の経過とともに,その濃度は薄まってしまうのだろうけれどもね。
あ,一日遅れだけれども,メリークリスマスwww。
それぢゃね!