はじめに
これから書くのは,オイラの経験則です。
すべての人に当てはまるわけではないです。
なので,自分の考えと合わないなぁ…と思う人は,無理に迎合することなく,スルーしちゃってください。
そもそも論として,「この法則は絶対だ!」みたいのは,かなり怪しいと思っています。
ある部分には効果があるけれども,違う分部には効果がないみたいなスタンスのほうが信用できます。
では,話を進めます。
「無理をしないで,できることをすればいい」
メンタルを病んでいる人に対して,よく言われます。
何もする気力がなく,息を吸っているだけでもしんどい人に対して,そのアドバイスはアリだと思います。
でも,「無理をしないで,できることをすればいい」って,使用法を間違えると,ものすごい毒にもなったりします。
オイラの場合は毒になってしまいました。
なぜできることだけをやっていると,できないことが増えるのか?
人間には学習能力があります。
ある人の持っている力を100とします。
ドラゴンボール風に,戦闘力100とでもしておきましょう。
例えば,Aという仕事(以下,「仕事A」と表記します)をするのに100の戦闘力が必要だとします。
最初は,仕事Aをするのに100の戦闘力を使います。
でも,段々と仕事に慣れていくと,仕事Aを80の戦闘力でできるようになります。
にもかかわらず,自分のできる仕事は,仕事Aだと思い込んでいるとします。
そして,仕事Aだけやっていると,戦闘力って80に減ってしまうんです。
使っていない戦闘力20は,保持されるのではなく,なくなってしまうんです。
最初,持っていた戦闘力は100です。
でも,今は80です。
表面的には,やっている仕事は同じ仕事Aなのだけれども,その人の戦闘力は目減りしてしまっています。
さらに仕事Aに慣れると,60の戦闘力でできるようになります。
そして,仕事Aだけをやり続けていると,戦闘力も60に目減りします。
結果として,できることだけをやっていると,できないことが増えてくるわけです。
オイラの場合,何もできなくなってしまいました。
ちょっとでも外出すると,眩暈を起こしたり,吐き気を感じるようになってしまいました。
ガチで家から一歩も出れなくなってしまいました。
では,どうすればいいのか?
「ものすごい無理をしろ」と言っているわけではないです。
オイラも,はじめは「郵便受けから新聞を取ってくる」とかから始めていきましたから。
同じことだけをやるのではなく,「すこし負荷をかけたほうがいいよ」ってだけです。
先の例に戻しますと,戦闘力20の余力ができているわけです。
その戦闘力20で,何かをすればいいだけです。
感覚的に言うと,「ちょっと無理をするくらいで現状維持」な感じがします。
この方法でも,戦闘力100のままですが,できることは増えていきます。
戦闘力20を他のことに回していますから。
でも,このままだと,できることは増えても戦闘力は100のままなんですよね。
もし,戦闘力そのものを上げたいのであれば,戦闘力100以上のことをしないといけないです。
できるかできないかギリのところを狙って,何かをする。
筋トレと同じですね。
筋トレも自分の限界よりちょっと上くらいの負荷をかけるのが一番いいみたいです。
限界よりも上すぎると体を壊してしまうし,限界よりも下すぎると筋肉がつかない。
最後に
「はじめに」でも書きましたが,これまでの話はオイラの経験則です。
すべての人に当てはまるわけではないです。
例外もたくさんあると思います。
更に言ってしまえば,結果論かもしれません。
できることをやっていて,うまくいったのであれば,それは結果としてよかった。
できることをやっていて,うまくいかなかったのであれば,それは結果としてよくなかった。
未来がどうなるかなんて,わからないです。
断言なんてできません。
なので,「無理をする,しないの判断」「無理の度合いの判断」は各自でしていただければと思います。
自分のことを一番知っているのは自分だと思います。
自分の人生の舵を握っているのも自分です。
人生の舵取りの責任を負うのも自分です。
自分の人生の舵を他人の預けても,あまり楽しくないと思います。
人生楽しんだもの勝ちだと思います。
人生を楽しむためのキー(鍵)は,主体性・能動性だと思います。
…と,めっちゃ前向きなことを書いていますが,明日「生きるのマジしんどい」とか言っている可能性大ですw。
ま,人間なんてそんなもんだよね(ゝω・)テヘペロ。
アラフォーのオッサンに明るい未来なんてないんぢゃ~!!(ぶち壊し)。
ビルド&スクラップ,それがオイラの美学さ(待て)。
追記
上記の方法論は正攻法です。
正攻法があれば,搦め手もあります。
搦め手の記事も,ちょっと紹介しておきますね。
オイラ,搦め手も結構すきですw。
それぢゃね!