はやく真人間になりたいよぅ(仮)

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子どもから生きる意味を問われたら何て答える?

『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(名越康文PHP研究所2014)を読み終えました。

良書でした。

 

 

名越さんは小学四年生のときに,その問いと対峙することになりました。

 

オイラも子どものとき(10歳くらい),同じことを考えていました。

親にも問いました。

当然ながら明確な答えをもらえませんでした。

「そういうことを考えたことすらない」と言っていました。

(そんなもんなんですかね?)

 

ちなみに,当時,オイラは「生きるのがしんどい」「生れてこないほうがよかった」「生んでほしくなかった」とまで言っています。

 

生きる力もまだない,わずか10歳ばかりの子どもがそこまで言うのは,よっぽどのことだと思うのですが,親はそれほど深刻に考えていなかったようです。

 

当時,担任が体育会系の先生でした。

そのときはまだ,今考えるととんでもないような先生が結構いました。

授業をしないで,生徒と将棋を打つとかねw。

マジですよ。

 

オイラは小さい頃から神経過敏で,不安が強く,食も細かったです。

毎日,給食を食べきることができない,いわゆる「お残りさん」でした。

 

無理やり食べさせようとするものだから,それがプレッシャーになり,ますます食べられなくなりました。

 

給食の時間になる前まではお腹が空いていても,給食の時間になると空腹感がなくなってしまいます。

それどころか,吐き気を催すほど気持ち悪くなってしまいます。

もはや食事をするどころではないです。

 

それでも,無理やり食べさせようとするから,ホント地獄です。

 

ついには,朝起きたときから気持ち悪い状態にまでなってしまいました。

 

朝もロクに食べられず,昼もロクに食べられずなので,物凄くガリガリに痩せました。

 

担任は「食べないから痩せるんだ」と言っていました。

「いや,無理やり食べさせようとするから食べられなくなるんだろ!」って感じですが,そこまで言い返す力はなく「食べきれない自分が悪い」のだと思っていました。

 

登校拒否にもなりましたが,当時はまだ不登校に理解のある風潮はなく,学校に行きたくなくても,無理やり行かされる状態です。

 

普通,小学生の担任は2年ごとに替わりますが,この担任は1年で替わりました。

この担任はホント体育系の教師でして,女子にも髪の毛が長いと「切ってこい」とか言っていまして,そういうことが問題にもなったりで,結局,1年で替わったのです。

 

で,次に担任になった先生は無理に給食を食べさせることもなく,少しずつ,オイラも食べられるようになっていきました。

それでも凄いガリガリでしたけどね(今は少し痩せたいw)。

今でも,会食・外食等は苦手です。当時の担任,マジ恨むわw。

 

って,話が逸れました。

 

タイトルの「子どもから生きる意味を問われたら何て答える?」ですが,みなさんでしたら何て答えますか?

 

難しいですよね。

 

それでもあえて回答してみようかな,と。

 

「生きる意味を問うている子ども」に対する対処法ではなく,「生きる意味とは何なのか?」という問いそのものに対する回答です。

ご注意をば。

 

あくまでもオイラの現段階の暫定的な回答です。これから先,変わる可能性も高いです。

オイラの考えを押し付けもしません。

共感することがなければ,スルーしちゃってください。

 

まず第一に,生きている意味を人に問うても,その答えに答えることができるのは本人だけだと思います。

だから,「生きる意味を問われても,その答えには答えることができない」です。

生きる意味を人に問うのではなく,問われているのは自分自身なのだと思います。

これは,『死ぬ瞬間:死とその過程について』(エリザベス・キューブラー・ロス)の受け売りですw。

 

結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、自分自身がそれを問われているのだということに気がつくべきだ。つまり一人ひとりが、人生からその意味を問われているのであり、自分自身の人生のすべてを引き受ける、つまり責任ある生き方をすることによってのみ、それに答えることができるのだ。

 

『死ぬ瞬間:死とその過程について』

エリザベス・キューブラー・ロス中央公論新社,2001)

 

第二に,答えはひとつではないです。

この世界にはたくさんの人がいます。

その一人ひとりが問われているわけですから,答えはひとつではないです。

腐るほどあります。

何でもアリです。

生きる意味のバーゲンセールです。

その人が納得できる意味を,自分の人生を通して見つけていってください

それしかないです。

 

中には見つからない人もたくさんいると思います。

なので,見つかった人は(かなり)ラッキーです。

 

見つからなかった人は,まぁ,そういうこともあるよね!(待て)

 

そゆときは下記のオイラの回答を少しばかり参考にしていただければ,と思います(参考にならなかったらごめんちゃい)。

 

オイラは生きることに意味を見いだしていません

ってか,「ない」とすら思っています。

生きる意味とか,そんなの単なる思い込みぢゃん!!とすら思っています。

(でも,思い込みの力ってすげぇ重要です。)

 

複数の答えがあるのであれば,それは一つの本質的な答えがないということで,「答えなんてない」と言い換えることができると思います。

 

hideも「ROCKET DIVE」の中でこう歌っています。

 

何にもないって事

そりゃあ なんでもアリって事

君の行きたい場所へ何処でも行ける

 

なにそれ,「ない」のって寂しくない?

人としてどうなの?

クズなの?

ねぇ,人間のクズなの?

人間のクズってつまり猫太郎さんのことなの?

と,思う人もいるかもしれないけれども,人間のクズではありますが(自虐的に強調w),別に寂しくないです。

 

すいません,ちょっとは寂しいですw。

 

オイラも「自分の生きる意味はコレだ!」と思ってみたい憧れがなくはないです。

 

話を戻します。

「ない」というか「無駄」なところに逆説的に意味があると思うんですよね。

 

あえて無駄なことをすることのほうが面白くないですか?

 

ニコ動とかで(ニコ動,ほとんど見ていないのだけれども),高い技術力を使って無駄なことをする動画がUPされていますが,そゆのって面白かったりしませんか?

 

合理的に生きてもつまらないというか…。

 

合理的思考の先には,つまらぬ答えしかない。

 

―― 猫太郎

 

あ~,でもお金は欲しいよね。誰か2億円くださいw。

 

なので,ひとつの方向性としては「生きる意味が見つからない人」は「無駄」に意味を見いだすと面白いかもしれません。

 

人生,楽しんだもの勝ちだと思います。

 

それぢゃね!