はやく真人間になりたいよぅ(仮)

ゆるミニマリストの元ヒキニートが真人間になるためのブログ@oekakids

読書

何事によらず中途半端が一番いけないのだ。

「何事によらず中途半端が一番いけないのだ。 趣味に徹底的に打ち込んだ人は、やがてそれを職業にするために組織を離れていく。 その方面に才能が開けたのである。なまじ酒と女と賭け事に中途半端な面白さを覚えた人間がそれに溺れてしまうのである。 溺れるという…

そのまま受け入れることが,結果としては一番楽ちんなのだ(大雨の戒め)。

大雨の戒めということがある。 逆の途中でにわか雨にあうと、濡れては困るとばかりに、急いで軒下などに走ったりするが、濡れることには変わりない。 はじめから濡れてもかまわないと思っていれば、なんの苦になることがあろうか。 これはすべてのことに共通する心…

物語に見る,男女における恋愛の違い。

女が主人公である世界的名作の物語。 これを皆さん、思い出してください。 『かえるの王子』にせよ『竹取物語』にせよ、女の幸せのパターンというのはお姫様という形に出てきますが、お姫様にはたくさんの選択肢があるというのが幸せなんですね。 お姫様の婿選…

「いい人生だった」と言える10の習慣

習慣1 「今日が最後かもしれない」と思って暮らす 習慣2 生きる意味を無理に探さない 習慣3 負の感情にふりまわされない 習慣4 身近な人こそ大切にする 習慣5 自分の幸せと大切な人の幸せをすり合わせる 習慣6 「長く」より「良く」生きることに注目する 習…

田舎暮らしができる人の条件

基本的に「ひとり遊び」ができる人は田舎暮らしに向いているのです。 自由な時間と場所を与えられたときに、自分で何かやりたいことがあって、それができる人。 あるいは、そのときにはとくにやりたいことがなくても、考えてなにかをやることを見つけ、自分…

数奇の効用

ここでわたしがもう一つ紹介したいのは、やはり『発心集』の巻六にある「時光、茂光、数奇天聴に及ぶ事」である。 これは拙訳にてお目にかける。 その昔、市正時光という笙の名人がいた。 茂光という篳篥師と碁を打ち、打ったあと二人して声を一つにし裏頭楽…

能々(よくよく)思へば、此の世の楽(たのしみ)には心をなぐさむるにしかず。

だがよく読めば、この「貧男、差図を好む事」の急所は、 ――能々(よくよく)思へば、此の世の楽(たのしみ)には心をなぐさむるにしかず。 この一行にあるのは明らかだ。 長明にとって最も尊いのは、現実の世での成功や、栄耀栄華といった外面的なことにある…

基準は他人にでなく、自分にある。

そして初めて、他人を意識し、他人との競争に明け暮れすることの空しさに気づく。 大事なのは自分であって、自分にとって何が必要で何が不要か、それを見定め、自分のために生きるのが当り前なのだ、と考えるようになる。 基準は他人にでなく、自分にあるの…

もし、心にかなはぬ事あらば、やすく他へ移さんがためなり。

ここに六十の露消えがたに及びて、さらに、末葉の宿りを結べる事あり。 いはば旅人の一夜の宿を作り、老いたる蚕の繭をい営むがごとし。 これを、中ごろの栖に並ぶれば、また、百分が一に及ばず。 とかくいふほどに、齢は歳々にたかく、栖は折々に狭し。 そ…

偶然(運命)が与えた幸運なぞはすぐにまた運命に取上げられる。

たしかにそのとおりで、世間の人はとかく、宝くじに当たるような外から与えられた幸運を幸福と同一視しがちなものだ。 が、すでに見て来たように、偶然(運命)が与えた幸運なぞはすぐにまた運命に取上げられるもので、断じて頼りにすべきでないとするのが、…

運命を頼まず、恨まず、十分な距離を保つべし。

わたしはこれまで一度として運命をあてにしたことはありません。 たとえ運命が友好状態を保とうとするような様子をみせた時にでも、です。 彼が最大の親切さからわたしに積み上げてくれたもの、財産や、官職や、勢力やを、わたしは、運命がわたしを興奮させ…

我々の不幸の最大の原因は、我々が他人の真似をして生き、理性によって身を処さないで、世間の慣習に従ってしているところにある。

いかに多くの物が余計な物であるかに気づくのは、それらがなくなりだした時です。 そのとき我々は、それが必要だからではなくて、それを持っていたがために使っていたにすぎないことを知る。 我々はなんと多くの物を、他人がそれをやっているという理由でや…

未来に依存する者には、現在は無意味になってしまう。

どうしたら我々はこの不安(あと人生の残りの時間がどれだけあるかという不安)から逃れることができるか? それはただ一つ、人生を未来に目標を置いて運んでゆくのでなく、ただいま自分自身に集中させることによってだ。 未来に依存する者には、現在は無意…

人の話し方を聞けば、生き方がわかる。

その人の生き方のように人はしゃべる。 人の話し方を聞けば、生き方がわかる。 「手紙」114-1 (p163) 『ローマの哲人 セネカの言葉』 (中野孝次,岩波書店,2003)

日々是好日

では徳(倫理的完成)の主なしるしは何ですか? それは、未来をあてにしないこと、自分の生きている日々を数えないことです。 というのは、徳は任意の短い時間の中で永遠の価値を実現するからです。 「手紙」92-25 ここで言われていることは、幸福な人生とは…

その行為自体が目的である行為をしたほうが,楽しいだろうし,長続きもする。

正しい行為の報酬は、それを行ったということの中にある。 「手紙」81-19 人に認められようがためとか、何らかのためにするのは本当の正しい行為ではない。 それを行ったよろこびの中にすでに全き報酬のあるのが、正しい行為だというのだ。 モンテーニュは「…

神も仏も君の外に対象としてあるのではない。すべてすでに君自身の内に備わっているのだ。

君を道徳的に善になしうるものは、すべて君の内にある。 「手紙」80-3 神だの仏だのと言うと、人はそれを外に求める。 そういう存在が自分の外に形としてあって、それをあがめるのだと思いがちだ。 が、神も仏も君の外に対象としてあるのではない、すべてす…

貧の体験のススメ

ところで僕は君の心の強さを試そうと固く決心したので、あの偉大な人々の指示に従って君にこうすすめます。 幾日か期限を切って、その間は僅かの単純な食物と、粗いごわごわの衣服とで暮らしてみて、こう自問するのです、 「これがあの怖れていたことか?」…

過ちは事物の中にでなく、僕らの心にある。

「多くの者にとって、富を得たことは苦悩の終りではなくて、その変形だった」というこのエピクロスの言葉に僕は驚きません。 過ちは事物の中にでなく、僕らの心にあるからです。 「手紙」17-11 ルキリウスが相変わらず「十分な財産を持ったら哲学に専念しよ…

大衆の気に入るものを避けよ、偶然のもたらしたものを避けよ。思いがけぬ幸運に遇ったら不信と不安を抱け。

そして僕は叫ぶ、 「大衆の気に入るものを避けよ、 偶然のもたらしたものを避けよ。 思いがけぬ幸運に遇ったら不信と不安を抱け」と。(p91) 『ローマの哲人 セネカの言葉』 (中野孝次,岩波書店,2003)

人間だけが未来のことや過去のことを思って、我と我が身を苦しめるのです。

野獣は危険が迫るのを見れば逃げだす。 危険が去ればもう何の心配もしない。 人間だけが未来のことや過去のことを思って、我と我が身を苦しめるのです。 人間の利点であるものの多くが、逆に害をなすのです。 「手紙」5-9 (p86) 『ローマの哲人 セネカの言…

所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、貧しいのです。

エピクロスの、 「楽しき貧しさは、美(うるわ)しき哉」 を引いて、それをセネカが自分の言葉に変えたのだが、二人の名人の合奏を聴く思いがする。 貧乏が楽しいものになったら、それはむろんもう貧乏ではない。 所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、…

自分に残された僅かなものに満足している人を貧しい人とは言わない。

さて、それでどういうことになりますか? 自分に残された僅かなものに満足している人を、僕は貧しい人とは思わぬのです。 「手紙」1-5 (中略) インターネットだのテレビだの電話だのケータイだの、ありとあらゆる文明の機器によって途方もない量の情報に日…

己の死を宣告されたとき,人は誓いを立てて,ほんの少しの歳月のおまけを得させてくれと神に乞う。

結局のところ、彼ら(多忙の人)がいかに僅かしか生きないかを、君は知りたいのですか? ならば、見たまえ、彼らがみなどんなに長く生きたいと願っていることか。 よぼよぼの老人が、誓いを立ててほんの少しの歳月のおまけを得させてくれと神に乞う。 自分た…

大衆の喝采は物事の正しさの証明にはならない。一人の正しく見る目があれば十分なのだ。

わたしにとっては一人が大衆であり、大衆とは一人である。 ――デモクリトス わたしには少数者で十分だ。一人で十分だ。誰もいなくても十分だ。 ――無名氏 わたしはこれを多数者のために書くのではない、一人のために書くのだ。 なぜなら我々二人は、一人がもう…

多読の害

セネカはやたらに居場所を変えたり、あっちへ行ったりこっちへ来たりするのを、病める心の徴候と見做していた。 それは読書においても同じで、あれを読んだりこれを読んだり、絶えず書物を変えて読むのは、心に落着きがないからだ、と考えていた。そこでこん…

『30日間、食べることやめてみました : 「不食」という名の旅』(榎木孝明,マキノ出版,2015)

誰もがこの瞬間、この「いま」を生き、それを積み重ねていくことでしか人生は続いていかないからです。 誰もみな、生きてきた過程で、自分がたまたま選択した瞬間の積み重ねの結果がいまの人生。 もしも、いまの自分に満足がいかず、自分の人生が後悔に満ち…

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 [訳] 河を見ていると、水は流れ流れて絶え間ないが、それはむろん同じ水で…

「今ココニ」を全力で生きることが、人生を生きることなのだ。

そして、それにしてもわたしは彼がここでも、人の生き方の極致を、一日一日を人生の最後の日と思って生きること、としているのに注目せずにいられない。 これは、前にも言ったが、人の生きるところは「今ココニ」しかないということだ。 「今ココニ」を全力…

誰かに起りうることは、誰にでも起りうる。

「そんなことが起ろうとは、わたしはぜんぜん思っていませんでした」とあなたは言うのですか。 起りうるとあなたが知っていること、多くの人に起ったのをあなたが見ていることが、自分にだけは起らないとでも思っていらしたのですか? 芝居の台詞ですが、こ…